2023-01-01から1年間の記事一覧

映画評『ラ・ポワントクールト』

映画評『ラ・ポワントクールト』 アニエス・ヴァルダの『ラ・ポワントクールト』は極めて生々しい。 それは、ポワントクルートという漁村がほとんど抽象的に誇張された不自然さによって逆説的に高まるリアリズムが溢れているからである。 何しろ、登場人物た…

詩「フンババ」

不定形の龍の子を孕んだ自動車の残骸 黒々とした工場の廃液を吸って膨張する海月 硫酸の火傷に爛れた血肉が垂れる錆びた獅子 堅牢なる硝子の散りゆくありさま 干からびた眼にたかる殻 どこからか聞こえる歪な歪んだ歪曲した波長 水が燃え、炎が凍る もはや河…

映画評『フライトプラン』(2005)

だいたい、飛行機は平行な乗り物でなかなか高低差を作れなくてつまらないし、あの乗客席の並び方がどうもショットにしづらいと思う。ラストの非常用階段は良かった。 ジョディ・フォスターがセラピスト(メガネを外してキメ顔する芝居が印象的)からセラピーを…

映画評『貸間あり』(1959)

川島雄三といえば、覗いているようなあの視点から撮り続けた『しとやかな獣』が代表作であるとしきりに言われている。 確かに、かの作品の冒頭、伊藤雄之助と山岡久乃がちゃぶ台を片付ける様子から始まることからして、まさに川島的な映画である。だが、新藤…

映画評『ヨーロッパ横断特急』(1966)

陳腐な物語の実演をさらに皮肉がましく追体験する。この映画の監督を務めている男が脚本家として出演し、トラティニャンがほぼ本人そのものの役で空っぽの箱を持ち、行く先々に現れる娼婦に、悪党に、刑事に翻弄される。すべては組織が彼の力量を確かめる為…

映画評『踊子』(1957)

映画評『踊子』(1957) 色気、食い気に包まれた京マチ子に振り回される姉夫婦と田中春男演じる演出家の映画で、手前に物があって、基本的にカットバックやイマジナリーラインを乗り越えることは禁じられ、つねに覗くかのような視点から撮られてる。そうした傾…

映画評『不死身の保安官』(1958)

映画評『不死身の保安官』(1958) 「ジェーン・マンスフィールドときたらマリリン・モンローの物真似ばかりしてたんだ。まあ、幾分か西部劇のパロディじみた所があるね、『不死身の保安官』は」とウォルシュは言った。 マンスフィールドがスカートめくって露…

映画評 無造作な脚の誘惑『死の砂塵』(1951)ほか

映画評 無造作な脚の誘惑『死の砂塵』(1951) あれは確か『追跡』だったと思うが、主人公のミッチャムが少年時代に目の当たりにした拍車がついたウエスタンブーツの煌めきに囚われる映画だった。 『死の砂塵』もまたそうした脚についての作品であると言えるか…

映画評『ハイシエラ』(1941)

映画評『ハイシエラ』(1941) よれたスカートから細い脚を投げ出しながら、悪戯げに棒切れを弄んでいる女がいる。彼女はこちらに気がつくと、ふと愛くるしい瞳をむけてくる。 その如何にも悪女というような縦に筋が通った面立ちに負けないこってりとした唇は…

映画評『ベレジーナ』

映画評『ベレジーナ』(1999) 秘密結社コブラが、椅子で眠りこけるイェレーナ・パノーヴァの前に集う。意識を取り戻した彼女は顔をこちらへ向ける。切り返しで顔だけを向けて振り返るという『ヘカテ』のローレン・ハットンが初登場と結びのシークエンスで見せ…

エッセイ「TOKYO FILMeX 2018」

エッセイ「TOKYO FILMeX 2018」(感想は当時のもの) 2018年のフィルメックスにおいて、いくつかの作品を見たなかでそれぞれの作品に共通する主題があるように思えてならなかった。それは境界をこえることである。 『自由行』は中国大陸から香港に住まわざる…

映画評『パラサイティック/モーテルアカシア』(2019)

『パラサイティック/モーテルアカシア』(2019)は最も恐ろしい映画だった。 無論、筋立て自体は極々単純で、特別目新しい代物でもなく、H・P・ラブクラフトめいた神話生物によるホラー。 空からカメラが森を縫いながら、ある雪山にポツリとたつ建物がある。こ…

エッセイ「ボー・ピープに泣く。」

映画評『トイ・ストーリー4』 最初は肩舐めの切り返しでここで帽子を深く被せてやる。この時に、見た目ショット同士の切り返しで分断するのではなく、同一のフレームに納めることによって、再開の予感をさせる。ここのあたりのカッティングが本当に古典的で…

映画評「ママと娼婦」

映画評「ママと娼婦」 フランソワーズ・ルブランは初めはセリフがなく、ドゥマゴにいる姿が映され、レオーと共に雑踏を消えていく。その後、レオーは友人役の男に彼女のどういう見た目だったかをことこまかに話し、どんな身の上なのか推測する。そして、デー…

論説「映画痴人 蓮實重彦」

論説「映画痴人 蓮實重彦」 A 表層批評の紋切り型 蓮實重彦の表層批評はコンテクストがあってこそできる放言にすぎない。文芸批評における『夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)ならば作家の伝記的事実に基づいた解釈を否定し例えばあえて「横臥」…

映画評『熱波』(2012)

映画評『熱波』(2012) 『熱波』第一部冒頭、撮り方がスタンダードのフレーミングが弱く、横移動のショットが虚しい。切り返しにおいては最悪で、幽霊の女のアメリカンショットも絵としては死んでいるし、クロースアップに至っては圧延され横に潰れた顔には…

映画評『浮草』(1959)

映画評『浮草』(1959) まず、冒頭、灯台に平置されたかのように忽然と置かれたガラス瓶、二艘の漁船、村の家々が映し出される。それらのショットの後景に共通しているのは真っ平らな海と空とが真正面から撮られていることである。小津が醜悪な『万引き家族…

映画評 増村保造の映画

『やくざ絶唱』(1970) いかにもアウトローな腕の振り方で歩く勝新太郎の姿を見てスター映画なのかなと思ったら、途中から太地貴和子へとドラマが移る。脚本の作りから言っても彼女の芝居が高揚していくとともに勝新太郎が退場をよぎなくされていく。通常の…

映画評『蜘蛛の巣』(1955)

映画評『蜘蛛の巣』(1955) 確かにたしかにシネマスコープの長回しが成功しているかといえば難しいところがあり、リチャード・ウィドマークが寝室にいるにも関わらず患者の話ばかりするのでグロリア・グレアムが激昂するショットは割ったほうが演技のリズム…

映画評『クワイエットプレイス2』(2021)

映画評『クワイエットプレイス2』(2021) はっきり言って物語の整合性でいえばすべてが破綻している。登場人物が行動へと思い立つ理由さえまともに描かれないのだ。 いわゆる一般的なドラマ作りだと怪物が巣食うあたりを彷徨く少女を追いかけろと言われたら…

映画評『ザ・スーサイドスクワッド』(2021)

映画評『ザ・スーサイドスクワッド』(2021) 意識的なキャンプかつトラッシュフィルムとしては至極楽しんだが2度は見ようと思わない。脚本の詰めが説明的で甘く、たとえばB級部隊が皆殺しになった後に出てきたA級部隊がグループアップする回想を入れる必要…

映画評「ドライブ・マイ・カー」(2021)

映画評「ドライブ・マイ・カー」(2021) 悪くはないが決して好きではない。常についてまわるあざとさがぬぐえなかった『寝ても覚めても』から抑制された演出へと切り替わったにしては『ドライブマイカー』はまだくどさが残っている。例えば本作の編集は扉の…

シノプシス「ディジネス」

シノプシス『ディジネス』 ・登場人物一覧 鳴海 主人公 工作員 京 雫(しずく) 姉 零(れい) 妹 ・あらすじ 鳴海は女性工作員で、映画の配給会社に偽装して暗躍する敵組織を探っている。 鳴海は同僚の京とともに、敵の雫を襲撃する。雫は死の間際、「ケ・…

エッセイ「増村保造論 肉声とどろく収縮する空間」

エッセイ「増村保造論 肉声とどろく収縮する空間」 増村保造の映画をすべて見たことはないにせよ、『くちづけ』(1957)、『青空娘』(1957)、『巨人と玩具』(1958)、『最高殊勲夫人』(1959)、『からっ風野郎』(1960)と見ていくうちに、カメラがだん…