映画評『踊子』(1957)

映画評『踊子』(1957)

 色気、食い気に包まれた京マチ子に振り回される姉夫婦と田中春男演じる演出家の映画で、手前に物があって、基本的にカットバックやイマジナリーラインを乗り越えることは禁じられ、つねに覗くかのような視点から撮られてる。そうした傾向がラスト、船越英二がオルガンを弾いているところを京マチ子が伺うショットが露呈することに繋がっているのが驚異的で、清水宏が最初から最後まで厳密に演出を計算しているのがわかる。

冒頭、カメラは浅草のあたりを俯瞰で捉え左へ動き、それからアパートの屋上で右へと動く、というような酔いどれか何か、あるいは京マチ子の奔放さを表したかのようなショットか2.3ある。

女が振り返ることが5回ぐらい反復され、その瞬間瞬間が露呈させる。夜の屋上で、淡島を追っていくと、裸足で、船越英二ぶっきらぼうに「冷えるといけないから」とサンダルを渡す。話しているうちに淡島は柱によりかかり、泣き(ここで謎の三回ズームカット)、雨が降る。淡島はサンダルを船越の足元に返すと、地面が水で濡れていくというところは凄かった。

メロドラマを活劇にするには、2人だけで話している場面というのが重要だが、本作では常に屋上や花やしきの上(画面の奥で乗り物が出てくるのがイイ)、デパートの屋上、神社の階段の上といつも見晴らしがいい場所で行われる。ありがとうさんでも丘の上で石を投げる場面が名高いのと同様、これらのショットは何かを露呈させるのかもしれない。

5ショット目あたりのベッドで寝っころがりながらタバコを吸う淡島と船越英二の視線の交錯した感じは印象深い。6ショット目で「子供作らない?」という淡島に寄るのも鋭い。京マチ子が船越を誘惑するときも寝っ転がりながらだったが、この感覚がイイ。

脚本的にイイな、と思ったのは、淡島が赤ん坊を連れてくると踊り子たちがみんなで相手するところや、京マチ子がひたすら飯を食い続け入院したときも淡島に餅やシュークリームを見舞いに持って来させたあげく、「寿司2人前ね!」というのが可笑しかった。京マチ子が踊り子もやめ、芸者の馬鹿げたカツラにも飽き、3号さんになってしまうのも笑った。

扉をわざと開け放しておいて、肝心の段になるとわざわざ閉めにいくところをさりげなく撮る。

ラング口紅殺人事件の看板が!