映画評『貸間あり』(1959)

 川島雄三といえば、覗いているようなあの視点から撮り続けた『しとやかな獣』が代表作であるとしきりに言われている。

 確かに、かの作品の冒頭、伊藤雄之助山岡久乃がちゃぶ台を片付ける様子から始まることからして、まさに川島的な映画である。だが、新藤兼人の辛気臭い終わり方はインテリを悦ばせる戯れで、鼻につく。

 この『貸間あり』の喜劇は全てにおいて素晴らしい。

 まずもって、エロ写真売りの藤木悠をローアングルからハイアングルに捉えていると、突如現れたヤクザに追われ、書店に逃げこむ。

 すると、そこで、学ランを着た小沢昭一(笑いを禁じえない)と出会い、その周りをグルグルと周りながら何でも屋のフランキー堺のことを話す。

 グルグルと回る。この映画には何度も回転するものが出てくる。「貸間あります」と書かれた看板、部屋に飾られているろくろ、ラジオのダイヤル、フィルムカメラ、テープ、鉛筆削りといった小道具をあげるまでもなく、人物がよく回るわけであって、フランキー堺がすっ転びまくるわ、帯を掴まれ引っ張られるわ、と見ているだけで可笑しい。

 また、人物の導線も同じことがいえて、会話の場面ではさりげなく部屋を一周するかのような動きを見せている。

 その最たる例は、夜の居酒屋で、骨董屋の渡辺篤が、「ぜひウチの女房を抱いて、天才児をこさえてくれ」とフランキーに頼み込む場面である。

 この2人が、保険屋の益田キートンに盗み聞きをされる度に、ちゃぶ台を持ちだして、店の四隅を「回」の字を描くように周り、ついには戸外にまででて話す、可笑しくって堪らない場面に露わになっている。

 この居酒屋のセットが実に豪奢で、画面の奥から見える外の通行人や、自動車のヘッドライトに見立てた光の揺らぎは贅沢の限り。いちいち、手前の襖を閉める動作が画面に広がりを持たせている。

 そうした川島の相貌が垣間見られるが、とりわけ良かったのは淡島千景への演出だ。彼女が白味噌の樽を徐ろにひょいと持つ一瞬の仕草は高らかに美しい。また、鉛筆削りで鉛筆を削った後、頬っぺたに尖った芯を当てるのも意地らしかった(この動作が物語と全く関係がないし、画面手前とはいえ、中央で台詞を喋るフランキーの傍らでさりげなく行われているのが凄い)。

 それだけにもとどまらず、ジーンズを履かせて屈む様子を臀部を狙って撮ったり、梯子段を上がって構図から上半身が消え、なめらかな脚のみが映るのも、細かな豊潤さに魅入られた。

 

追記 風呂場やトンネルの音響効果が素晴らしい。ものの見事に響いている。