2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

映画評『不審者』(1951)

ストーリーは不審者の通報をきっかけに、警官の男が地元の名士の人妻と関係を持つ。男は身体と遺産目当てに名士を罠に嵌めて殺す。男は未亡人と結婚するも、すでに自分の子供を孕んでいることに気がつく。子が産まれて、不倫関係が発展しての謀殺が、世間に…

映画評『パーフェクト・デイズ』(2023)

簡単に言い過ぎかもしれないが、ニュージャーマンシネマというのはナチスによって受けたダメージに対しての作家たちによる批判という側面はあると思う。アウシュヴィッツ以後に詩を書くのと同様、映画を撮ることも野蛮なのだ。ヒトラーが利用した映画メディ…

映画評『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)

この映画の話法として重要なのは何も知らない未熟な少年が、未知の魔法界に足を踏み入れるという点である。 だから、常にキャメラのアングルは観客が魔法界にいるかのようなところに据えられている。真俯瞰から撮られたクレーンのキャメラがランタンの灯った…

映画評『断片的なものの社会学』

「コンビニエンスストアは、音で満ちている」ーー村田沙耶香『コンビニ人間』 岸政彦の『断片的なものの社会学』にあった挿話が非常に映画的だった。ここで言う、映画的とはいわば『ラ・ラ・ランド』(2016)のような、映画狂の監督が、シネマスコープの画角で…

映画評『哀愁の湖』(1945)

普段、映画を見ていて戯けた話だと思うことはあまりない。とは言いつつも、五所平之助の『恋の花咲く 伊豆の踊子』(1933)が伏見晃があまりにも泥臭く通俗的な脚色を施していて、一高生が惚れた旅芸人の女が旅館の亭主の下に身体を預けることになるのではと案…

エッセイ「ひとでなし!」

「愛している人を軽蔑するのは自分を軽蔑するのと同じ」『アメリカの夜』La Nuit américaine(1973年、フランソワ・トリュフォー監督)より フランソワ・トリュフォーが「Salaud 」と揶揄するのを、山田宏一は「人でなし」と訳す。 人を人でなしと罵倒するのは…