映画評 無造作な脚の誘惑『死の砂塵』(1951)ほか

映画評 無造作な脚の誘惑『死の砂塵』(1951)

 あれは確か『追跡』だったと思うが、主人公のミッチャムが少年時代に目の当たりにした拍車がついたウエスタンブーツの煌めきに囚われる映画だった。

 『死の砂塵』もまたそうした脚についての作品であると言えるかもしれない。だが、脚とは言っても男をたぶらかすためのものでは一切ない。『大雷雨』のディートリヒさえ脚線美はほとんどおざなりで、雑貨屋の店主に好色な目に晒される程度で、トレンチコートやエプロンを着させられている。

 むしろ、ほとんど乱雑かつ粗野に扱われることが、野蛮に彩っている。

 この映画が始まった時、保安官のカーク・ダグラスの下に、男が駆けつけてきて、私刑裁判が行われることを告げる。すると、ダグラスは昼メシを作ってる最中だというのに、焚き火から立ち上がって、土を消って消してしまう。

 この投げやりな動作は恋人となるヴァージニア・メイヨにも共有されており、際だった個性のない普通の女優をひときわ輝かせている。『白熱』でジェームズ・キャグニーに蹴飛ばされた彼女が、だ。

 カーク・ダグラスがライフルを構えたメイヨを女性だと知らずに殴り倒し、のしかかったことから二人の関係性ができるシーンの後のことだ。

 彼女が拍車によってケガをしたと嘘をつき、クスリを取りに行く。怪しいと睨んだダグラスもそれについていく。

 馬小屋で彼女はジーンズをまくって、長い脚を無造作にほっぽりだす。ダグラスがその脚に躊躇なく、クスリをかけてやると、痛そうに顔を歪めるのだが、ここにはいわゆる誘惑の姿勢はないものの、なぜか倒錯的な惹きつけるものがある。メイヨがハワード・ホークスの駄作『ヒットパレード』で見せた仕草とはまるで違う。

 それは後の川のシークエンスでも言えるが、メイヨは靴に入った砂埃を取って、裸足になって馬に乗っている。それから、川の中に歌いながらズカズカと入って、保安官たちを小馬鹿にする。

 ここでメイヨが一行から離れたことによって、ダグラスとのカットバックが発生し、見る見られるの関係性がやはり深まっていくわけだ。

 保安官は無言で彼女を引っ掴んで、浮かせながら陸に戻す。

 ムスッとした彼女は帽子を深く被ってそのまま出発する。

 この時の一行が馬に乗って河を横切るショットはただ単に素晴らしい。

 それからというもの銃撃戦やらなんやらあるがすべてはメイヨに拳銃を握らせたかっただけとしか思えない素晴らしい瞬間がつづく。そういえば、『不死身の保安官』で唯一見応えがあったのはジェーン・マンスフィールドがライフルを構えるところであった。

 『白熱』にあった突発的な暴力がここにも顔をだす。ブレナンが娘のことを馬鹿にした男に殴りかかる場面や、仲間の保安官がいきなりダグラスを狙った瞬間にメイヨに撃ち抜かれる速すぎるカットバックもそうだ。

 中でも、ダグラスが彼女に拳銃を突きつけられてガンベルトを外す。カメラがスっとアクション繋ぎで引いて、ガンベルトが落っこちたところに繋がるやいなや、屈んで砂埃をメイヨにぶっかけるショットは凄まじい。こんなショットが撮れる監督は今時いるのだろうか。

 あと、縛り首の縄の輪っか、意味深長ではなくぽっと殺人現場に置いてあった銀時計、「ライフルがあるぞ」とメッセージの書かれたフライパン、馬に備えられた水筒が弾を受けて水が吹き出す、いわゆるなんの変哲も無いモノが映画的に輝く瞬間もおぞましいものがある。

 なんの変哲も無いモノに視線が注がれる時、観客もまたジッと目を奪われてしまう。

 ブレナンが吊るされる時、メイヨがこっそりと忍び寄る刺客に気づきライフルを構える時、ダグラスが倒れた時に、周りにいる全員が彼の方に視線が同じ方向を向く。その瞬間にはヒリヒリするサスペンスが刹那的に発生するのだ。