映画評『不死身の保安官』(1958)

映画評『不死身の保安官』(1958)

ジェーン・マンスフィールドときたらマリリン・モンローの物真似ばかりしてたんだ。まあ、幾分か西部劇のパロディじみた所があるね、『不死身の保安官』は」とウォルシュは言った。

 マンスフィールドがスカートめくって露わにした脚の大写しが持続を断ち切るように露わとなるような、禍々しいショットが頻発するのだ。

 それは保安官のケネス・モアの仕込みデリンジャーが不意に現れる所ともよく似ていようし、インディアンが見下ろす岩壁の俯瞰もそうだといえよう。

  『女の戦場』でジョーン・レスリーの反復されるバストショットを想起していただきたい。カッティングインアクションによって起こるズレが、ショットの連なりを揺るがしてしまうのだ。テレビであれば照明は修正しないし、カメラは何台もあって単に絵と絵は否が応でも連続性を帯びる所を、こうした「繋ぎ間違い」が映画を活気だてる。

 何せ、マンスフィールドのプラチナブロンドが逆光を帯びて輝いてしまう河辺での逢瀬は見逃せないだろう。このせっかくウエストショットで撮り上げた見事なシークエンスは、プロデューサーの命令で挿入されたように見える明らかなスクリーンプロセスのクロースアップによって台無しにされていようと、次の撮影で忙しいウォルシュとは無縁のことだ。

 また、『ハイシエラ』や『死の砂塵』を思わせる切りたった岩壁の銃撃戦の際に、ライフルを構える姿が素晴らしい。マンスフィールドは芝居が下手で初登場のカバンの投げ方さえ見ていられないのだが、大股を広げて狙いをすます格好は忘れ難い。