映画評『パラサイティック/モーテルアカシア』(2019)

 『パラサイティック/モーテルアカシア』(2019)は最も恐ろしい映画だった。

 無論、筋立て自体は極々単純で、特別目新しい代物でもなく、H・P・ラブクラフトめいた神話生物によるホラー。

 空からカメラが森を縫いながら、ある雪山にポツリとたつ建物がある。ここの名はモーテルアカシア、フィリピン系の青年JCが、白人の父が行うある仕事を手伝わされている。

 それは密入国者たちを騙し、夜な夜な白濁した粘着液に満たされた風呂のある部屋に誘い込む。

 その風呂に入った者は、粘液のなかから這いずるでる得体の知れない名状しがたい触手に容赦なく肉を削がれ、腹わたをえぐりだされた挙句、ちぢれた肉片になってしまうのだ。

 この様子の無残かつ残忍でいて強烈な描写は、80年代あたりに撮られた『死霊のはらわた』といったスプラッタの粒子の粗いフィルムの感触とは一線を画し、デジタル特有の無機質な生々しさがダイレクトに肌に伝わってくる。

 この戦慄は、カーペンターの『ザ・ウォード』で、女優が見るも無残に顔を施術される様子を俯瞰で捉えた場面以来の感触である。

 ただ人を食うだけであればまだ可愛いものの、この怪物は女性を孕ませ、軟体動物を産ませるのだ。

 本作がとりわけ不気味なのは、この謎の生物が画面にはほとんど映らないことと、一切台詞の上では説明されないということにある。『遊星よりの物体X』を思い出すまでもなく、怪物の出自が明かされないことによって、説明による停滞が物語から消え、映画そのものの姿が露わになる。

 82分という魅力的な上映尺はもちろんこうしたことに由来しており、見ているものは息もつかせぬままに映画が進んでいって置いてけぼりを喰らったかのような感覚に陥る。

 この怪物を巡って、主人公のJCが不法入国者と手を組んで、アメリカ映画のように退治するのかと思えばそうではない。

 ただ、なんとなくライターで火をつけてみると、勢いよく燃えだして死んでしまうというなんとも肩透かしというか、斜め上をいく簡潔な発想には度肝を抜いた。

 さらに、それだけでは終わらず、一緒に脱けだした同僚の女性が怪物に犯された影響で大樹に変貌してしまう。

 JCは恐怖と絶望に襲われ、彼女が幸せに暮らす姿を幻想の中で垣間見る。そのまま音楽が流れ、クレジットが続く。

 本作を見て何を思えばよいのだろうか。何から何まで辻褄というか、理由が一切わからない。

 演出は普段は丁寧なカット割りで違和感なく進めていくものの、サスペンスとなると毛穴まで見えるほどのクロースアップを撮る大胆さを秘めていた。

 俳優の芝居もこれは最早ドキュメンタリーではないかというくらい、演技を感じさせない自然極まりないものであったことも忘れ難い。

 この『モーテルアカシア』はまっこと恐ろしいのだ。なぜ、ヒエログリフストーンヘンジのような神秘的な遺跡めいた作品が産まれてしまったのだろうかと考えを巡らせても、一切の答えはない。まごうことなき、駄作である。