映画評『フライトプラン』(2005)

 だいたい、飛行機は平行な乗り物でなかなか高低差を作れなくてつまらないし、あの乗客席の並び方がどうもショットにしづらいと思う。ラストの非常用階段は良かった。

 ジョディ・フォスターがセラピスト(メガネを外してキメ顔する芝居が印象的)からセラピーを受けてるところにものすごいキーライトが充てられたり、ラストではこれまた強烈なバックライトがさしこんで聖女のように撮られている。これはいわゆる裁かれるジャンヌ、あるいはジャンヌダルク裁判のリメークなのだ。フォスターが黒一色の服を着て、ブレッソン版のジャンヌそっくりの髪型をさせられて、手錠をかけられ連行されるところを、横移動で撮り、そのあと彼女の主観ショットでこちらを見つめる乗客たちの顔面が並んでいるショットからも明らかである。

 娘さんはいませんという時?にカメラが斜めから切り込んで内側からのショットでズレる。

 もちろん、本作は走る映画だが、フォスターが飛行機を歩くたびに、乗客たちは彼女を狂女であるとか、子を必死に探す母親であるとかそれぞれ違った視点から認識し、最後には彼女がまさしく母親であると受け止めることが感動なのだ。飛行機から降りた後に、パトカーやヘリ、救急車がいて、スポットライトで辺りを照らしているのも、まるで花道のようではないか