映画評『俺たちの血が許さない』(1964)の妙な湿り気

 床にばら撒かれたガラスの破片を、黒い背広がかき集める。スター俳優のはずの小林旭がまったく飾らずに、しかし不穏さを伴って現れる。彼はこの夏祭りが催されるぐらいの時期の、湿った暑さに対して、実家にあがろうと真っ黒な靴下さえ脱がずに居心地悪そうに腰を浮かして座っている。弟の高橋英樹が着流しで、しかも裸足で振る舞っているというのに。

 それは彼の情婦の松原智恵子にもいえる。ヴェロニカ・レイクよろしくウェーブのかかった黒髪を流して、その面長の顔を隠している彼女は、ひたすらに背中を見せて、スクリーンを覆う。プログラムピクチャーに出演している俳優ならばこうしたヴァンプの役回りを受けても不思議はないが、普段の正面から捉えられた清純のイメージからすると、どきりとしてしまう。ラヴシーンの時に、彼女は漆黒のブラジャーを身につけており、小林は後ろから抱きついてむんずと揉むのも何か見てはいけないものを見たかのような気分になる。

 それにしてもこの映画では物が捨てられる。すっとタバコの箱を捨てたり、ホルスターに入れた拳銃を放るとか、形見のネックレスや指輪を平気で落とす動作は、ほとんどシークエンスを始める符牒になっている。なぜこうもこの人たちは物を投げ捨てるのだろうか。理由はいっこうにわからないし、この無意味に対してナンセンスだと意味づけるのも、不毛な試みだろう。

 そうした荒唐無稽ぶりは画面に奥なぞ存在しないという悍ましさのせいでより際立ってる。

 この映画はシネマスコープということもあるが、登場人物たちが画面を右往左往するのみで、背景は完全に絵だし、自動車が走ろうとあからさまにスクリーンプロセスでしかも降っている雨も紛いものですよと言わんばかりで、ロケーションの熱海の防波堤も一面が海で、本当に何もない。

 ようやく手前から奥へと貫く運動が現れるのは高橋英樹が湿り気の強い物語から退場しようと駆け出すときに留まっている。