映画評『騙し絵の牙』(2021)

 暇つぶしとしては楽しんだのだが、荒唐無稽さにリミッターがかかっている。この映画は多くの会話を多くのアングルで撮り過ぎている。たかだか料亭で意味深に会談する佐藤浩市斎藤工のシークエンスを20箇所ぐらいアングルを変えて撮っていてせわしない。
 基本的にこの映画は板付きで始まり、人物が椅子に座った状態から始まる。その時、立ち上がる動作あるいは部屋に入ってくる人物によって視線だったり、芝居のきっかけになるが、それも効果的に演出されていたかというとそうとは思えない。なぜなら決まって闖入者へとバストショットで寄るからだ。
 その関係からか、クロースアップが著しく弱い。ガストで飯を食ってるところで松岡茉優の顔にトップライトがロングでもアップでも当たっているせいで余計に化け物じみた顔にみえる。それはセットでもほとんど変わらない。小林聡美が編集室を尋ねてきて松岡が応対するとひそひそ話で近景になるが、この時2人ともまったく光に彩られていない。池田エライザもえらくぱっとしない顔に見えるショットが幾つかある。流石にラストの決めのカットバックは丁寧に配光していたので時間の問題なのだろう。
 これはグレーディングだけの問題ではないようだ。照明の渡邉孝一氏は『アドレナリンドライブ』ではなかなか見応えのある画面だったのだが。
 この映画で少しばかり興味深いのは、決定的な瞬間を省略、絵として撮らない傾向すらある。たとえば、冒頭の犬を引き連れた社長が死ぬ場面がある。そこで、犬、社長、犬の寄りで進む。つまり、この社長自身が犬を連れ回しているようすを撮るのをひとつの構図まとめないから、なんだか一昔前のロシアモンタージュ理論的な非常に違和感がある。
 とはいえ、池田エライザがストーカーに襲われる場面の編集など模範的な例だろう。彼女が降りてマンションの階段を昇るショットのカット尻が長く、そしてそのまま自動ドアを開けて入るところへと繋ぎ、間を長めにとってある。ストーカーがナイフを突き立てる場面まで省略していたが、反撃に銃を発砲するところはちゃんと撮っていた。これは確かエライザの手で破裂するのはちゃんと絵にすることによって何が起きたかを一瞬のことながら把握できるので、うまく絵で見せている。
 が、弱いのが松岡茉優リリー・フランキーを飛行場で追う場面だ。飛行機が飛び立つ様子を入れ込みでやらずに、カットバックでやってるから。ここも松岡の上を飛行機がすれすれに離陸するところだけは真横からワンカットで撮っていた。こうして松岡はその衝撃で倒れて真俯瞰から撮られる。そういった見せ場の作りが映画としてはどうも。