映画評『不審者』(1951)

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 ストーリーは不審者の通報をきっかけに、警官の男が地元の名士の人妻と関係を持つ。男は身体と遺産目当てに名士を罠に嵌めて殺す。男は未亡人と結婚するも、すでに自分の子供を孕んでいることに気がつく。子が産まれて、不倫関係が発展しての謀殺が、世間に明るみになれば、ふたたび事件が捜査されてしまう。焦る男はゴーストタウンで分娩を試みる。医者を無理矢理連れてきて口封じに殺そうとするも、残虐な行為を怖れた妻に阻止され、警察に包囲される。というのがあらすじ。

 『不審者』というタイトルは、警官であるはずの主人公をあらわしている。主人公の男は、犯行現場を訪ね、実況見分のため、小窓から女を覗き見る。その行為自体は犯人の動向を検めるためのロールプレイングなのだが、その実演が主人公の末路を暗示している。

 主人公は亭主を殺すために不審者のふりをして、誘いだす。草むらに隠れ、扉を揺らし、武装した旦那をおびき寄せて、それを口実にし、殺人を公然と犯すのだ。

 この脚本の構成がさすが冴えている。そして、舞台となる場所も限られており、邸宅、モーテル、教会、ゴーストタウン、裁判所、ドラッグストア、主人公のアパート、同僚の家とたった8カ所である点。ドラマが洗練されており、物語の緊張感が弛まない。それはこの登場人物の権力関係が常にゆらぎ、追い詰められる状況が作られているからだろう。主人公の警官は不在の人物に脅かされる。その最たる脅威は他でもない自分が作った子である。結局のところ、すでに詰んでいたのだ。不義密通を働いたこの主人公はもう破滅していたのである。それはやはり根本に女性嫌悪が根強くあるだろう。

 あえて映さずにラジオから聞こえる音声を効果的に用いた見せ方はやはり特筆すべき点だ。それは『ローマの休日』(1953)で王妃の容態を、『拳銃魔』(1950)で強盗犯の凶行を報じ、本作『不審者』(1951)では死んだはずの夫の「いまから会いに行くよ」という声の録音が、それを聞く当事者の男女にゆさぶりをかけるというシーンを書いてきた脚本のダルトン・トランボの得意とするシチュエーションが用いられているからである。メディアが報道する公の真実が、それを聞くカップルの私性を脅かす。

 そしてそれに見合ったジョセフ・ロージーの演出もずば抜けている。事実上の略奪婚が祝福される教会の階段の上から狙った長回しのパンで撮られた画面構成。この広角気味でぎこちない高さから狙われており、効果的であり、実験的なのだ。