掌編小説『聖ボウイ』

 円筒型の書類ケースの中に『戦場のメリークリスマス』のポスターを丸めていれた。簡単だった。映画が上映したばかりの映画館ほど暇なものはない。受付嬢は携帯をいじるばかりで何も見ちゃいなかった。俺はそのままエレベーターを降りた。 

 何食わぬ顔で新宿を歩いた。誰も俺を気にも留めない。誰も。寂しくなった。俺は。誰かに気づいてほしかった。俺は大島渚の代表作の、貴重なポスターを盗んだんだぞ。鼓動が高鳴り、どんよりと鈍い淀んだ血が全身に流れた。久々に生きているという実感がした。

 太眉の巡査がにこやかに微笑みながら、俺の前に立ちふさがった。俺の心は奇妙に昂り踊る。希望が、冒険が、人生が、神話が、運命がときめきだした。ようやく俺も何かになれるんだ。俺は何かに成ることを期待されてきた。だが、いままで何もできなかった。それでは俺は何の目的もなく、ただ遊ぶために金を稼いでいるやつらよりも醜悪というほかない。ついに、俺は、俺自身でやり遂げた成果を、世間や社会から好奇の目に、白日の下に晒されることになる。そうだ、俺は現行犯だ、俺を捕まえれば点数稼ぎになるぞ。映画会社はいい宣伝になったと俺に感謝するだろう。メディアは現代の病だとか騒ぎ立てる。だが。警官は俺を通り過ぎて、後ろにいる真冬だというのに半そでのTシャツを着た危なそうな、ゴムのように荒れた肌の男に職務質問をした。

 俺は心底その男がうらやましかった。自分の顔に硫酸をかけて焼け爛れさせたくなった。俺は俺でない怪物になりたい。みじめで哀れな異形のフリークスに。

 俺はさっそく自分の部屋にポスターを飾った。縛られたデヴィッド・ボウイ、化粧をし軍服を着た坂本龍一、剣道着を着て真剣を構える軍人たちの映るスチル写真で構成されたシンプルなものだ。ずいぶん貴重なものらしく、リバイバル上映のために大島渚プロダクションが配給会社に宣伝のために貸し出したものだそうだ。だが、こうしてみると、ゲイ映画のポスターにしか見えない。接吻した。俺は、ポスターのボウイに。ぬくもりもなにもない、てらてらとした乾いた紙が唇にひっついた。空虚が俺に襲いかかった。俺はしくじったのだ。結局のところ何かになることを恐れたのだ、俺は。

 数日後、夜が深く眠りだす時間。映画館の前にそっとポスターを置き、駆けだした。あたりにはやたらとわめく酔っ払いしかおらず、焦燥感に駆られていながらも静かにことを遂行せねばならん俺は別の次元から迷いこんできたようだった。

 誰か人が後ろをつけていないか、監視カメラに映った映像から追跡されないか、恐れた。家に帰って俺は寝た。すべてを忘れるために一日に何回も寝た。そして、俺はあそこで犯した罪悪感をやり過ごした。ニュースは見たが、とうぜん俺の名前はなく、今回の件は不問に帰すそうだ。すべて無意味だったんだ。