エッセイ「憎いもの」

 それにしても、いちばん憎いのは自分の人格である。いままで随分損をしてきた。それもこれも、たぶんおそらく、自分の持ち前の能力を過小に評価してきたことに原因があると思う。他人に振り回されて。俺は自分を大切にしてはこなかったのである。だ、それはかつて俺がそうでもしないと人と関われないような小心者にされた、みじめな時期があって、間違いなくそのせいである。その時はそこしかいわゆる帰属する社会がなかったからなすすべもなく、そうしてきたわけだ。

 だが、いまはそうではない。選択肢がある。私は人との関係性を断つのはよくやるし、むしろすっきりする。美人局に恐喝された友人のために夜遅くに自転車で駆けつけて警察に相談するよう促したり、何時間も職場とか生き方とか悩み事の相談をしてきた映画が趣味の気が合う仲だとしても断ち切ってきたし。

 私は恩を着せるだの、奢る奢られるだの、貸し借りの関係性が嫌いである。モースは『贈与論』、ざっくばらんに言うと、与えられたら与えられた分だけ返すのが人間というものだというのを文化人類学的なエビデンスとともに証明したが。私はどこか人との関係性について欠落しているのか、そもそも、本心ではいささかも心を開いていないのか。誰かに何か贈ったとしても何も見返りは期待していない。誠意を見せるだのなんだのというのはもってのほかで、どうでもいい。なんだか、下心が見えて下劣な行為にまで、自分のやったことが堕ちる気がするのだ。それこそ、無償の愛への冒涜である。

 個性的であるというレッテルを貼られる苦しみ。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」とは、トルストイの『アンナ・カレニナ』の書き出しであるが、かつてはそれに憧憬の念を抱いていたことがある。
ちょうどアメリカのドラマの『フルハウス』のような家庭が理想だった。サラリーマンとして働き、ああした退廃や絶望のない(シーズン後半には非行について扱うようになったが)のがリアル、現実だと思い描いていたことがある。
 だけれども、本当の世の中というのは残酷である。私は普通に生きてきたつもりだった。普通の少年だと。変わったところに進学したとはいえ、自分をずっと凡人だと思っていたし、未だにそう少なからず思っている。普遍的なものにすぎぬと。
 最近、ようやくわかってきた気がしてきたのだった。今までは、だから何も取り柄がない没個性の普通の考えの人間だと思っていて、周囲から変わってるとか個性的とか言われるのが嫌いで嫌いでたまらなかった。可愛いとかカッコいいとか言われるのと同じくらい空々しい、お世辞だ。
 自分は幼い頃から、通りすがりの老人から好意を向けられると罵倒したり、ちょっとでも優しいねとか声をかけられるとすぐに嫌がらせをした。
 前に、笑顔で「お爺ちゃんお婆ちゃんには優しい」と言われた時なんかは、体調が優れない祖母の世話をしている学生にわざと「お婆ちゃん元気?」と聞いたこともある。その時のひきつった顔。
 だから、人を傷つける言葉は常に真実だからむしろそうした批評を歓迎する。
 でも、ようやく気づいたのは、自分には才能の有無、社会から否定されるか肯定されるかを度外視するにしても、趣味があり、創作意欲があり、よく調べる傾向にあるということに。
 だから、自分は自分の道を歩もうと考えはじめてきたのだ。自分のために。かつては、そうした考えはナルシズムだと思っていた。だが、結局のところ、周囲に迷惑をかけ、甘えるのよりかは、すべて自分の責任として、個人の、1人の人間として生きるために、挑戦しようと思い始めたのだ。いままで俺は遊んできたのだ。自分から逃げて。だが、そうでなくて、俺自身の仕事をすべきなのだと。俺は最近俺を取り戻しつつあるのだ。